TOP > 開発の背景 ストロングバイス物語
10開発の背景 ストロングバイス物語
昭和45年(1970年)頃より工場の方々がバイス作業をする際に、両手でワークを持ってバイスを開閉しようとすると、両手がふさがり非常に不便なので、何とかならないかとのニーズにお応えするため、足踏み式で油圧のバイスが出来ないか、高松の多くの工場に製作を依頼したところ、すでに同じような発想で製品にしていた所もあったし、新製品として開発してみようとして意欲的な会社が試作品を製作したものの、実際に使ってみると様々な難しい問題に直面し、各社とも商品化出来ずに四苦八苦していたところであった。
丁度そんな時に、ラベラー(一升瓶のラベルを貼る自動機)のメーカーの(株)新栄製作所社長牧野良弘様が本格的に開発に取り組んでみようということになった。
モニター販売当時の
手書きのカタログ
1. |
バイスはどうしても無理な衝撃がかかるので本体が絶対に折れたり、割れたりしないこと。 |
2. |
足踏み式にするため油圧式になるので、故障しないこと。万一故障しても点検、修理が簡単に出来ること。 |
3. |
油圧式になると圧力はいくらでも上がり、故障の原因になるので性能の良い安全弁を付けることが絶対に必要である。 |
4. |
一旦締めると数時間は緩まないこと。 |
5. |
手締めバイスより締付力は相当強くすること。小型プレスとしての機能ができること。 |
6. |
手締めの横型バイスは非常に安いので出来るだけコストダウンすること。 |
等々の要求をもとに牧野氏が3年ほどかかったが、ついに試作機を完成させた。
約半年、色々テストし、改良を加え、昭和50年5月にモニター販売用として39台を完成。近隣のお客様に買って頂いた。ストロングバイスの記念すべき輝かしい船出となった。直ちに、モニターの方々からのご意見、ご不満、改良点のアドバイスを取り入れて、製造開始し、翌年、香川県に限定して販売を開始した。クレームもなく順調に販売出来たので次は、いよいよ販売店の皆様のお力添えを得ることとして、まずはご懇意にして頂いていた高知の松影機工(株)様に同行販売の御願いをした。予測の通り順調に販売して頂いた。
特に宿毛地区は社長が同行して頂き、積んでいた8台は主に船舶の修理工場にあっという間に完売した。
さらに、岡山県、広島県と販路を広げていった。いよいよ関西地区への進出となった。そして、中部地区に進出、中国地区、北陸地区、東京地区と販路を広げていき、当時全国で展開されていた「どてらい市」、「にほん市」にも数多く出品させていただき、同行販売に、実演展示販売に全力で取組んだ。この間、ストロングバイスは改良を重ね、SV-205型から、SV-205B、SV-205E(エコノミータイプ)、そして現在のSV-205Cになり、今日の5,000台の実績にまでこぎ着けた。
そして何よりの誇りは、今でも昭和50年の第1号機と言えども完全に修理出来、No.0001号のストロングバイスは齢30を超えて今日も現役で活躍している。
昭和50年5月 |
(株)新栄製作所(社長牧野良弘)がストロングバイスSV-205を39台完成し、香川県内のお客様にモニター販売する。 | |
昭和51年 |
お客様のご意見をもとに改良を加え、230台を四国、中国に限定して販売。さらに京阪神、中部地区へと販路を広げた。 | |
昭和53年4月 |
資本金500万円をもって、ストロングバイスの販売元として全国販売を目的に設立。 合田武が代表取締役に就任。 |
|
昭和56年4月 |
ストロングバイス累積販売台数1,000台を突破。 一時、台数使いたいのでもう少し安いものを作って欲しいとのニーズに応え、エコノミー型としてSV-205Eを販売し、500台以上販売はしたが、ストロングバイスはやはり金色のものが好評で、結局締付力をあげた改良型のSV-205Cの製造に専念することになった。 |
|
昭和59年9月 |
ストロングバイス累計販売台数2,000台を突破。 | |
平成元年4月 |
ストロングバイス累計販売台数3,000台を突破。 | |
平成14年4月 |
資本金1,000万円に増資。 | |
平成16年4月 |
ストロングバイス累計販売台数5,000台を突破。 | |
平成17年10月 | ストロングバイス発売30周年特約店会議開催。 | |
平成21年10月 | ストロングバイス販売店技術講習会 |
〒761-0101 高松市春日町1706 TEL(087)843-1237 FAX(087)841-3438